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善慶寺の縁起

善慶寺の由来

善慶寺は、もとは法光山と称し、宗祖が池上においてご入滅後十年、当新井宿村の住人増田三郎右衛門が中老僧日法上人に帰依して正応五年(1292年)に建立されたと伝えられています。

従って日法上人をもって開基とし、身延を総本山とする一致派の寺でありましたが、十二代の日好上人日什門流の教風に帰依されて京都妙満寺派に属し、以降日什門流の寺院となっています。 昭和十六年、日蓮門下三派合同により顕本法華宗より今日の日蓮宗に包括され、現住職(罍慈鴻)は第44代として開基以来、七百年を超えて連綿として法灯が継承されています。


昭和の始めまでは本堂四間四面の草葺で、僅かに庫裡を加えた程でしたが、第四十世石渡日瑛上人代、昭和五年に現本堂と書院が建立されました。
第四十三世罍日禎上人は、東京都南部宗務所長・京浜教区長として広く仏教伝道に尽くされ、寺院にあっては昭和四十六年、聖誕七百五十年記念事業として門前78坪の宅地を買収して境内地を拡張。

墓域を境内地に移転、本堂内陣の改修等、内外の環境を整備。昭和四十七年十月七日、これら浄業達成の報告をかねて、聖誕七百五十年慶讃記念大法要が行われました。


善慶寺が広く知られるようになった新井宿義民六人衆の史蹟は、第十九世遠妙院日宣上人と第二十世証源院日応上人のお力により生まれたものです。

義民六人衆の義挙に対して最もよき理解者であり協力者であり、六人衆が処刑されるにおいては当時の禁をおかしてまでも全員の遺骸を当山墓域に葬りました。その後、多くの方々が供養にまいられるようになり、今日に至っています。 六人衆供養の墓地と石碑は昭和六年に東京府史蹟となりました。

また、六人衆の一人である太郎兵衛の末裔、間宮新太郎家で明治三十四年に発見された事件の訴状帖は善慶寺に納められ、貴重なる郷土史の文献として昭和三十九年四月二十八日東京都文化財に指定されました。 今日では高等学校の教科書に掲載され、広く義挙の精神が今に伝えられています。



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