東京都大田区の1292年建立の日蓮宗寺院、法光山善慶寺

よくあるご質問

法事・法要について

法事時に何を用意すれば良いのでしょうか?
内容によって異なりますので、当会または僧侶(お坊さん)からのお電話の際にご相談ください。

ご相談内容によっては回答にお時間をいただく場合がございます。

喪中とはいつまでの事をいうのですか?
喪中期間は縁故の濃さにより違います。
親や兄弟のときは一年とされています。
伯叔・父母・従弟姉妹の場合は、三ヵ月間を喪中として、この間に正月を迎える場合は「年賀欠礼」のお知らせを十二月初旬に出しておいた方がよいでしょう。このときに「誰のため」ということを書き添えておくとより親切です。
清めの塩はなぜふりかけるのですか?
お通夜・お葬式の後、ご自宅に入る前に「清め塩」を身体にふりかけます。
塩には清めの効果があるとされ、古く日本の神道では人が死ぬ事を「穢れ」とされていました。
穢れの式であるお葬式に参列した方も穢れるという考えから、塩でお清めをしますが、仏教では死は穢れとは考えないため、塩で身体を清める必要はありません。
友引・仏滅の日に葬儀や法事を行わないのはなぜですか?
友引=友をひいてゆく。という意味をとって葬儀が続いてはいけないという事で葬儀を行いません。
仏滅=仏様が亡くなられた。という意味で縁起が悪いとされています。
しかし近年では、友引や仏滅などの日の吉凶は、生活そのものにとってはなんの意味もなく単なる文字の語呂合わせにすぎないぐらいという考えもあります。
お布施はどのくらいが適当なのでしょうか?
お布施とは一般的に、ご住職の読経への御礼として解釈されていますが、本来、自分の出来ることを他人のために行う、という意味があります。
読経やご回向の対価としてお布施をすることではありません。
法事の場合は、三万円~五万円というお布施が多いようですが、お寺の格式や法号の格式、葬儀の規模等を加味すると一概には言えません。
年回法要の申し込みはどうすればよいですか?
ご法事は、ご命日より前に行うと良いとされています。
まずご法事を希望される日時・場所をご連絡ください。
先約や行事などでご希望にそえない場合もございます。いくつか候補を上げて頂きますとありがたいです。
卒塔婆(そとうば)を建立される方は、法要申込用紙にお名前・フリガナをご記入頂き、FAXまたは、ご郵送ください。
(お電話での申し込みは、漢字の間違えなどのことからご遠慮いただいております。)

ご葬儀について

家族・親族に不幸があった場合はどうすればよいですか?
もしご家族、ご親族でご不幸があった時には、先ずご一報をお願いします。お通夜・お葬儀の日程を相談させて頂きます。
善慶寺瑞雲館を式場としてご利用頂けます。使用料などはお問い合せ下さい。

葬儀社のご紹介も行っております。

檀信徒以外でもご葬儀のご依頼はお受けしております。

日蓮宗の法式に則りお勤めさせて頂きます。

ご祈祷について

日蓮宗の祈祷とは・・・?
日蓮宗では、古来より相伝される木剣修法(ぼっけんしゅほう)によって行います。
木剣修法とは、毎年11月1日から翌年の2月10日までの寒壱百日間、千葉県市川市の大本山 法華経寺内にあります日蓮宗大荒行堂で苦修錬行(くしゅうれんぎょう)を積んだ者だけが、相伝される祈祷法であります。

善慶寺では、日蓮宗祈祷による各種ご祈願ご祈祷を随時受付けております。

仏教行事について

盆と施餓鬼はどう違うのですか?
お盆は、ご供養を行い七世の父母親族の冥福を祈り、お施餓鬼は、餓鬼に施しをして、寿命を延ばすためのものです。
施餓鬼会はお盆の時に行われる場合もありますが、実際にはお盆に限らずいつでも行ってよいものです。
お彼岸とはどういった意味ですか?
お盆と同じくらいに春・秋の彼岸会では、お墓参りで霊園・墓地などに多くの方がお参りに出かけます。
お彼岸とは、お墓参りや先祖供養をするだけの行事ではなく、毎日を心してすごさなければいけない事を忘れがちな私たちに、自覚と反省を促すために設けられた修行の為の行事でもあります。
自らの行いを反省し、今日の自分の源であるご先祖への感謝の念を表すのが彼岸会です。

その他全般

宗派にこだわらず供養したいのですが・・・
宗派不問としてご対応させていただきます。
檀家とは?
現在では、檀家というとお寺に所属して、その宗の教えを守る人の事をいいます。
お寺にお墓や位牌所がある人の事も檀家という場合もあります。
古くは仏教の教えを受けていたお寺のお坊さんに衣食などのお布施をする信者の事を、檀家と呼ぶようになったのが由縁です。
鬼子母神がざくろの実をもっているのはなぜですか?
ざくろは、本来子宝と豊穣を象徴する果物です。
五百人の子宝に恵まれた鬼子母神を示すのにふさわしい果実といえます。
鬼子母神様がざくろを手にもっている理由は、お釈迦様が与えたとされその理由には様々な説がありますが、子宝・豊穣の象徴としてその手にもっていると訳せます。